個人、社会の澱を吐き出す蕩尽について
2021-01-17


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作家の浅田次郎氏は、小説家として抜きんでた才能を持っておられる人で、このブログでも度々取り上げてきました。

彼のエッセイの「勇気凛々シリーズ」「オーマイガー!」などの著書を読むと無頼のばくち好きであることがわかります。

作家という職業は、内にこもり、誰とも接しないで
自己を見つめ文章を書いていくので、かなりストレスをためるようです。

栗本慎一郎氏が、「パンツをはいたサル」という著書の中にも、
人間社会もエンタルピーが増大すると、なんでも破壊したくなる、散財したくなる蕩尽理論を展開していますが、
人はワザと過剰なものをつくりだし、それを蕩尽する時に快楽を感じる。
それは積み上げた積み木を壊す時の子供の喜びと同じだと言っています。

浅田氏のギャンブル好きは、まさに、普通の日は外にも出ず、寝ることも惜しんで働いていますので、ストレスを過剰を溜め込み、溜め込まれたもののエネルギーを非日常の日に、ギャンブルという形で一挙に消費し、破壊したい欲求にからるのでしょう。

競馬を除いて、氏の本に、まさにギャンブルそのものを扱った
「カッシーノ」という本がありますが、2巻目の「カッシーノ2!」の
(再び非常識へのいざない)という序文に
老子 第五十七章の言葉を引用している文章に出合いました。

「天下に忌憚(きき)多くして民弥(いよいよ)貧し
民利器多くして国家滋(ますます)昏し(くらし)」 という文章で、
やってはならない禁令が多くなればなるほど、民は貧しくなり、
民が便利な機械を使えば使うほど、社会は暗くなる。

コロナ禍になると、ますます禁令が多くなって、一般庶民は貧しくなっていってしまいますが、現在では、目先の死の恐怖が先だっていますので、私たちの社会が貧しくなっていることが理解できておりません。

いずれは、この覆いかぶさったふたを開けた、開けられてた瞬間に、
心もお金も社会も世知辛くなっていることに気がつくでしょう。

また、パソコンやスマホなど、利器が発達するほどに、
「マスゴミ」による情報操作で、理論誘導され、洗脳されて社会はどんどん暗い方向に進んでいるのも自明です。

さてその社会に蓄積した澱を取り除くのが、
個人では、ギャンブルに走ったり、必要でなくても物を買ってしまう購買衝動であったり、たらふく食べて、リセットしたい欲求でしょう。

これが、国レベルでは、ワールドカップであったり、オリンピックであったり、国家の価値観の違いがエスカレートしていけば、戦争という大蕩尽が起こります。

民意が、自分の思い通りにならないので政治の所為にして、
首相辞めろと辞めろと合掌して、心の憂さを一人の責務に押し付けて
自分の精神を蕩尽をしている間はいいですが、

金がない、おいしいものが食べられない、旅行に行けない、自分の思い通りに国が動かない、職を失った 年金が大幅に削減化に動くなど、ひずみエネルギーをどんどんため込んでしまうと、ほかに蕩尽する手段のない人は、一挙に自殺や暴動に発展します。

これが、アメリカのように国を二分する政争に発展する状況になったり、国家間であったりすると、悲惨さ、鬱積さは、さらに暴動や、戦争に発展してしまっていきます。

今は、今年の7月に開催できないかもしれない、オリンピックも何とか成功させ、祭りや式典など復活させ、心や経済の蕩尽をして、国の心の安定に進めないといけません。

悲壮感が冗長され、現実に国家間の祭典がなくなったとき、人の蓄積したエネルギーをどのように、うまく、吐き出せていくのか、その失敗例は、大正末期、昭和の初期を見れば、歴史の流れは一目瞭然です。

経済崩壊し、貯金封鎖、米騒動、その連鎖での恐慌、一挙に戦争の足音が聞こえてこないようにしないといけません。

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