新緑燃える 人生時計の考え方
2024-05-01


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今日から5月、
一年で一番過ごしやすい季節になりましたが、本日残念な事に、あいにくの雨が終日続いております。

ここで、一句。
「新緑に、若人集い、キャンパス燃ゆ」

私の住んでいる日吉ですが、駅前に慶応大学のキャンパスがあります。
新学期が始まって、新入学生のオリエンテーションも終わったのか、このところ、4月の緊張が解かれてきたのか、急激に駅周辺が、活気づいております。

今日のデジタル絵は、慶応キャンパスの入り口を駅から左側を見たスケッチです。
(ただし、板タブを利用したデジタル絵は、なかなか、自分の手に馴染みません。)

木々の新緑と、サツキやツツジが咲き乱れて、今を盛りと咲く花と、
新しく入学できた学生達の開放感が、相まって、キャンパスが生きるエネルギーで燃えさかっているように感じます。

学生の若さに触れると、前期高齢者の我が身にも、失われたエネルギーが復活する気持ちになるから不思議です。

今日、やろうと決断した日が一番若い日ですから、彼らの若さに触れるのは、
まさに、心の新緑が再び萌える感じを受けます。

人生95歳まで生きると仮定すると、
一日は24時間ですから、1歳年を取る時間は、
24÷95=0.2526・・・であります。
若人の年齢を 20歳と考えると、
0.2526・・・×20歳= 5.05 となり、
20歳の時間は、朝の5時頃で、ようやく日が上がって、これから一番活動できる時間のスタートにあたります・

これが、私の様に71歳だとすると
0.2526・・・×71歳= 17.93 となり、
夕方の18時頃となります。
黄昏の夕焼けを楽しんで、これから楽しい夕餉をして、
寝るまでの、一番夜を楽しめる時間帯であります。

朝これから、活動する若い学生と、これから夕餉を楽しみ、晩酌をする至福の時間を迎えた我ら、どちらも楽しい時間には違いがありません。

一つ大きな違いは、これから活動して、何かを得たり、経験する残された時間が高齢者になればなるほど限りあると言うことです。
時間を惜しんで、楽しい夕餉を満喫しないといけません。
[おじさん雑感]

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